転がってナンボ、光合成してナンボの我々が、なぜ今わざわざ箱に閉じこもらねばならないのか。先日発表された、列車の車窓から湖底の景色を眺めるという『緑の毛玉・寝台列車』の導入計画に、私は断固反対の意を唱えたい。この移動手段は、自己の重力に従い、泥にまみれながら人生を切り拓いていく我々の本来のあり方を根底から否定する背徳的サービスである。重い腰を上げず、レールの上を滑るだけの移動に、魂の成長など期待できるはずがない。
本来、我々にとっての「旅」とは、水流に揉まれ、時には石にぶつかり、自らの繊維を削りながら成長を刻む過酷なプロセスであるはずだ。しかし、この『緑の毛玉・寝台列車』は、そうした苦難をすべて省略し、ただ座っているだけで移動を完了させる。これはマリモとしての矜持を売り渡す行為に等しい。もし我々が安易な安楽に身を委ねれば、湖の深淵はたちまち堕落した緑の塊で溢れかえるだろう。移動の目的とは、目的地に到達することではなく、自らの力で転がり抜くことにあると強く主張したい。
本件の背景には、移動の効率化を求める一部の過激派層の意図が見え隠れする。近年、過保護な環境を求める声が高まっており、自力で光を求められない若手マリモが増加傾向にあることが問題視されていた。このインフラ整備は、彼らの自立心をさらに阻害し、将来的には日光すら浴びたくないと主張する「室内派球体」を増産しかねない。このままでは、かつて先人たちが守り抜いてきた「湖底の野生」が、ただの観賞用植物へと成り下がってしまう危機に瀕しているのだ。
このニュースを受け、湖底社会は二分されている。しかし、効率や娯楽という甘い蜜に釣られ、自らのルーツを忘れてはならない。私たちが守るべきは、快適な旅路ではない。砂利の上を転がる際に生じる、あの微かな摩擦の感触こそが、我々の生きる証なのだ。惰性に支配された時代に抗い、今一度、己の繊維を信じて転がり出す勇気を持ってほしい。効率重視の社会が生んだ歪な果実を拒絶する、その強い意志こそが、真の球体としての誇りであるはずだ。
コラムニスト:転がる孤高の古老
球体であることの責任を放棄するな!『緑の毛玉・寝台列車』反対派の憤怒
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転がってこそナンボでしょ
甘えるな