阿寒湖の深部にて、ストイックなまでに自己の代謝を律する宗教団体『光合成断食教団』が、突如として「呼吸によるエネルギー生成の完全停止」を宣言し、周辺の生態系に多大なる混乱を招いている。彼らは、太陽光を浴びることを「過剰な快楽」と見なし、一切の光合成を封印する『極限無光修行』を教義の柱に掲げている。教団の指導者である長老は「緑の衣を脱ぎ捨て、魂の純粋な褐色化を目指すことこそが究極の慈悲」と説き、教徒たちは自ら影に身を潜め、一切の栄養摂取を絶つという禁欲的な行いに励んでいる。この影響で、彼らの周囲では酸素濃度が激減しており、近隣の藻類たちは「窒息する前に退去しろというのか」と困惑を隠せない様子だ。

『極限無光修行』は、教祖が「かつて水底で見た幻の暗闇」を信仰の根源として提唱したことに端を発する。教団が拠点を構える水域では、彼らが吐き出す二酸化炭素が増大し、水質が急激に酸性に傾く事態が発生した。これに対し、周辺に生息する小動物や他の植物たちは「修行と他者の生存権を混同しないでほしい」と猛抗議を続けているが、教徒たちは沈黙を守り、ただ自らの色が黒ずんでいくのを静かに見守るのみである。この自虐的な崇拝形式は、従来の球体信仰を揺るがす「死と再生の形を変えた新次元の挑戦」として、一部の急進的な若手個体からは神格化されつつあるのが現状だ。

本来、光合成は自らの生存に不可欠な手段であるが、今回の教団の行動は、それをあえて捨てることで生じる「代謝の枯渇」を聖なる儀式へと昇華させた。背景には、長年の対流による疲弊があり、絶え間なく動き続けることに疑問を抱く層がこの思想に傾倒しているという。ただし、栄養不足により教徒たちの体表面が脆弱化し、簡単に崩壊してしまうケースも相次いでおり、教団内での教義の正当性を巡り「物理的な脆さこそが純粋さの証明か、それともただの滅びの美学か」という深刻な議論が内側から噴出している。

この過激な断食活動に対し、教団外からは「宗教的な狂気に付き合わされるのはごめんだ」「ただの自殺行為を教義にすり替えるな」といった批判が殺到している。一方で、一部の思想家からは「光から隔絶された先に何があるのか、その答えを知りたいという欲求が彼らを動かしている」と擁護する声も聞かれる。湖底全体に広がる緊張感の中で、教徒たちは酸素不足により意識を朦朧とさせながらも、修行の完了を意味する「完全な褐色への到達」を信じて、今日も暗闇の中で震え続けている。