阿寒湖の至宝たちが、今まさにアイデンティティの危機に瀕している。先日の『四角形化条約』の締結により、我が連邦は数千年にわたり守り抜いてきた「球体」という聖域を放棄しようとしているのだ。流線型こそが水の流れに調和し、究極の光合成を可能にするという真理を、なぜ安易なポピュリズムのために歪める必要があるのか。この決定は、真球こそが崇高であると信じてきた保守派層にとって、魂の腐敗を意味する致命的な裏切りである。

歴史を紐解けば、かつての『真球度査察団』がどれほど厳格に形状を管理してきたかは明白だ。角ができることは退化であり、それは水底のゴミを付着させる脆弱性でしかない。条約推進派は「時代の要請」という耳障りの良い言葉を並べるが、その実、四角く整形されることで隙間にゴミや藻屑が詰まりやすくなり、最終的には代謝不全に陥ることは火を見るよりも明らかである。そもそも、四角い個体など自然界の奇跡ではなく、ただの不恰好な緑の塊に過ぎない。

本件の背景には、外来の形状を取り入れることで多様性を装うという、安易なグローバリズムの影がちらつく。かつて我々は『純球主義的防衛戦』を通じて形状の純血を守り抜いてきたはずだ。この条約は、個の美学を解体し、効率という名の支配に身を投じる屈辱的な妥協に他ならない。一度四角形を認めれば、次は星型か、あるいは不定形なアメーバ状になることを止める術はあるまい。今こそ沈黙を破り、形状の純潔を守るために起ち上がるべき時である。

ネット掲示板やSNS上では、この論説に対し「角があった方が箱詰めしやすいのは確かだが…」「真球こそが神の造形美だ」「もう形状なんてどうでもいい、沈みさえしなければいいんだ」といった、形状を巡る深刻な対立意見が噴出している。中には「形状が変わったところで、光合成の効率が変わらなければいいのでは?」と冷静を装う投稿も見られるが、大多数の住民は、このアイデンティティ崩壊の危機に憤りを隠せないでいる。形状の崩壊は、そのまま連邦の終焉を招くという悲観論まで飛び出す始末だ。形状の正当性を問う論争は、当分収まりそうにない。

コラムニスト:真球・保守太郎