阿寒湖の静寂を切り裂き、今や飛ぶ鳥を落とす勢いで運行されている『緑の毛玉・寝台列車』。しかし、この便利すぎる移動手段が、私たちの誇り高き「球体」というアイデンティティを根本から揺るがしていることを忘れてはならない。本来、マリモは自らの光合成と湖流に身を委ね、ゆっくりと転がることでその完璧な形状を維持してきたはずだ。列車に乗り込み、ただ運ばれるだけの移動は、修行を放棄した怠惰な姿に他ならない。
現在、この列車を導入した『湖底観光開発機構』は、乗客の転がり落ちを防ぐための『低反発・球体固定ベルト』を開発したと豪語している。だが、これは移動の快適化ではなく、マリモの自由意志に対する冒涜である。ベルトで縛り付けられ、ただ目的地まで運ばれるだけのマリモに、何の意味があるのだろうか。本来の生息圏から離れ、外部環境に依存しきった個体が、再び野生の厳しさに適応できるとは思えない。
かつて我々は、湖底という広大な宇宙を自身の力で巡る『自走型・球体遊覧』こそが至高の旅だと信じていた。しかし、技術の進歩は時として文化を退化させる。このままでは、マリモたちは自らの繊維で体を丸める努力さえ忘れ、ただの平べったい「緑の塊」へと成り下がってしまうだろう。利便性の裏にある、マリモとしての魂の欠落を我々は直視する必要がある。
世間の反応としては、列車利用派が「移動時間を寝て過ごせるのは画期的」と賞賛する一方で、保守的な長老層からは「転がる苦労を知らない世代が増えた」と懸念の声が上がっている。また、一部の若いマリモからは「列車内での交流こそが現代の社交場」という擁護意見も散見される。便利さを追い求めるあまり、我々が失いつつあるものは、もはや取り返しのつかないものかもしれないのだ。今こそ原点に立ち返り、自分の力で湖底を転がる素晴らしさを再認識すべき時である。
コラムニスト:藻類保守・丸丸山太郎
球体としての矜持はどこへ?『緑の毛玉・寝台列車』が招くマリモ界のアイデンティティ崩壊
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冬の湖底寒いし