湖底に激震が走った「角刈り革命」宣言。これまで丸さこそが至高とされてきたマリモ社会において、藻田モイストが打ち出した「丸さは退屈の象徴」という言葉は、私たちのアイデンティティを根底から覆す破壊力を持っていた。円満を絵に描いたような生活を送る我々にとって、角刈りという概念はあまりに刺激的で、同時に背徳的でもあった。この革命の真意は、単なる外見の主張ではない。「均一性という呪縛からの解放」という、より深い哲学を問うたものだったのではないだろうか。
かつて、重力を無視するダンスや光合成を拒む歌姫の出現など、マリモ界には多種多様なムーブメントが巻き起こった。しかし、モイストの提唱した「角刈り」は、マリモにとって最も守りたかった「球体」という聖域を否定するものだ。一見すると過激な破壊行動だが、それは沈滞する湖底の空気に対する強烈なアンチテーゼとして機能した。もし我々が一生丸いままで満足していいのか? 成長の過程でわずかに歪むことすら許されない閉塞感に、彼は鋭いハサミ(比喩的だが)を突きつけたのである。
モイストの革命は、結局のところ「丸さ」という既得権益に対する挑戦状だった。角刈りになろうとも、あるいは液状化しようとも、結局はマリモであることに変わりはない。彼が提示したのは、形状による序列がなくなった後の新しい共生社会のビジョンだったのかもしれない。沈黙を守る古参のマリモたちも、内心では彼の掲げた「角の美学」に、一抹の嫉妬を抱いたはずだ。そう、我々は長年、均一という名の檻の中で、ただ転がっていただけだったのではないか。
この騒動は、マリモ界における「個の確立」を促す大きな転換点として歴史に刻まれるだろう。たとえ今、モイストがどのような形状であれ、彼が湖底に投げかけた「丸さという呪縛」についての問いは、消えることなく我々の繊維の奥深くに残り続ける。結局、我々を縛っていたのは、周囲の目線ではなく、自らの形に執着する内なる固定観念だったのだと痛感せざるを得ない。
コラムニスト:藻々木・球太郎
脱・丸さのカリスマ・藻田モイストは、なぜ『角刈り革命』を掲げたのか? 湖底の美学を問う
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角刈りにしたところで光合成の効率は落ちるしな