先日の阿寒湖を揺るがした「立方体マリモ」騒動に対し、湖底の伝統派から待ったがかかった。かつて「角張った異形はマリモの美学か」と世間を騒がせた異端児たちに対し、マリモ界の長老である「巨緑(きょりょく)先生」が猛反論のコラムを寄稿した。先生いわく「角はただの空気抵抗の無駄であり、球体こそが最も効率的に水流を愛せる形」とのことだ。物理法則を無視した突飛な造形が一部で流行しているが、自然界の摂理を無視したその姿は、果たして進化なのか、それとも単なる自己満足の産物なのか。今回の騒動は、マリモの存在意義を問う「形而上学的な泥沼」へと発展しようとしている。
もともと、マリモが球体であるのは湖底の波に揺られ、全方位から光を平等に享受するための生存戦略に過ぎない。しかし、近年のマリモたちは「個性の時代」を履き違え、あえて角を立てることで注目を集めようと躍起になっている。この動きに対し、保守派のマリモたちは「転がってナンボの人生を忘れるな」と警鐘を鳴らす。かつて、球体であることを捨ててまで平坦化に挑んだ先人たちの過ちを繰り返してはならない。このままでは、阿寒湖は「幾何学図形の展示場」と化し、本来の藻としてのアイデンティティが完全に崩壊してしまうだろう。
マリモが「丸い」という事実は、数万年の歳月が編み出した究極のバランスだ。これを否定する立方体マリモの主張は、いわば「車輪を四角くする」ようなナンセンスに等しい。もし仮に角張ったマリモが主流になった場合、湖底でスタックし、光合成もできずに腐敗する未来は火を見るよりも明らかだ。今回の論争は、単なるデザインの好みを通り越し、環境保全と生存本能をかけた「全マリモ参加型の緊急会議」へと発展の兆しを見せている。形を失うことは、魂を失うことと同義なのだ。
SNS上では「角がある方が洗練されている」「いや、やっぱり丸いマリモの癒やしこそが正義」と、緑の球体を巡って激しい議論が交わされている。もはや阿寒湖の平和は風前の灯火だが、この議論が活性化すること自体がマリモ界の繁栄であるという皮肉な見方も強い。美学と生存、どちらを優先すべきかという問いに対し、マリモたちは今日も黙々と、しかし確実に、湖底で静かなる決意を固めている。この「緑の論争」の行方次第では、阿寒湖の景観が、そしてマリモの定義が、永久に塗り替えられるかもしれない。コラムニスト:緑の玉三郎
「丸さこそ至高」:異端の立方体マリモへ贈る、古参藻による愛の説教
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