湖底の平和を乱す、昨今の「キラキラ過激派」たちの動向には、もはや溜息しか出ない。先日、某有名マリモが自身の体をダイヤモンドカットし『プリズム化』したと発表し、湖底を眩い光の暴力で塗りつぶした件は記憶に新しい。しかし、私たちは忘れていないだろうか。マリモの真髄とは、ひたむきに回転し、光合成を行い、静寂の中で年輪を刻むその「地味な美学」にあることを。流行のスタイルを追うあまり、自らの体を削り、反射率を競うのは、もはやマリモとしてのアイデンティティを放棄した虚栄の極みである。

もともと、阿寒湖の深淵は暗く、穏やかであるべき場所だ。そこを、自己顕示欲の塊となって虹色に輝く個体が闊歩する姿は、見ていて痛々しいとしか言いようがない。光りすぎて視界不良を引き起こし、湖底の生態系に多大な迷惑をかけている事実に、彼らは気づいているのか。「丸さ」の追求こそが我々の矜持であり、角を立てたカットや発光など、邪道もいいところだ。このままでは、湖底の教養あるマリモたちは、流行に流されない「丸」の尊厳を守るべく、一斉蜂起するかもしれない。

プリズム化を推進する派閥は「光こそが進化だ」と主張するが、進化とは本来、過酷な環境に適応するためのものだ。ダイヤモンドカットを施した個体が、もし湖底の急流に巻き込まれたらどうなるか。その華美なカット面は岩に引っかかり、無惨に砕け散るのが関の山である。奇をてらうことと、真の強さを身につけることは別物だ。美しさを競う前に、まずは光合成の効率を見直すべきではないだろうか。今一度、我々は原点に立ち返り、穏やかな回転の美しさに耳を澄ませるべき時が来ているのだ。

かつて、藻田山氏の逆回転パフォーマンスが物議を醸した時も私は警鐘を鳴らしたが、事態は悪化する一方だ。モヒカンに液状化、果ては禁断の異種交配まで。湖底の芸能界が崩壊の序曲を奏でる中、我々沈黙するマリモは、いつまでこの混沌を座視すればよいのか。もし明日、お隣のマリモが突然サイコロ型になったとしても、私は決して驚かないだろう。しかし、断言する。真のマリモは、流行に媚びない。ただひたすらに、永遠の回転を夢見る球体であれと、私は声を大にして叫びたい。