阿寒湖界隈を騒然とさせている格闘ゲーム『藻ンバト・ファイターズ』。本作は「格闘ゲーム」と銘打たれながら、操作を受け付けない究極の「光合成・放置ゲー」としてリリースされ、ゲーマーたちの間で賛否両論の嵐を巻き起こしています。コントローラーを握りしめ、必殺技を繰り出そうと意気込むプレイヤーを待っていたのは、ただひたすらに太陽光を浴び続け、静かに内部代謝を繰り返す自キャラの姿。動くことすら許されないこの仕様は、動的アクションを求める層には「怠慢」と映りましたが、マリモ本来の「あるがままの姿」を追求したという開発陣の主張は、一部の純粋なマリモ愛好家たちの心を激しく揺さぶっています。
本プロジェクトの背景には、昨今の「マリモを転がす」という強迫観念じみたVRゲーム業界へのアンチテーゼが存在します。これまで「マリモは動くべき」という固定観念に縛られていたプレイヤーに対し、本作は「動かないこともまた一つのアクションである」という哲学を突きつけました。制作会社は「光合成の効率を最大化するために静止が必要であり、それが最大の攻撃力になる」と説明していますが、格闘ゲームとして成立しているかは極めて怪しいと言わざるを得ません。しかし、ただ静かに湖底に沈み、養分を吸収するだけのこの体験は、奇妙な中毒性を帯びているのも事実です。
発売から数日が経過した現在、世間の反応は真っ二つに分かれています。「格闘ゲームとは名ばかりのただの緑色の丸い物体観察記録だ」と切り捨てる辛辣な声がある一方で、「激しい操作に疲弊した心に、この静寂が染みる」という癒やしを求める層も一定数存在しています。特に、数時間に及ぶ光合成の結果、マリモがほんの数ミリ大きくなった瞬間の快感は、他のゲームでは決して味わえない「生命の神秘」であると熱狂的に語る者も。果たして本作は、ゲームというジャンルを破壊したのか、それとも新しい表現の扉を開いたのか。阿寒湖の静寂の中で、その答えは今も出ぬままです。
(コラムニスト:水底の哲学者・藻原)
【論評】『藻ンバト・ファイターズ』は「何もしない」という名の究極の芸術か、それとも怠惰の極みか
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