湖底スポーツ界において、観客を熱狂の渦に巻き込んできた数々の過激競技。しかし、先日の『第1回・マリモ・無酸素・究極の静止・我慢大会』は、その極北を突き抜けた。開始の合図と共に全選手が全く動かず、水流さえも拒絶するような無の境地へと達し、観客もカメラも沈黙。あまりの静止ぶりに審判団が死亡確認を行う直前まで至り、開幕直後に競技が終了するという、ある種の前衛的な結末を迎えた。スポーツの定義とは何か。我々は今、転がることも光合成することさえ放棄したマリモたちの、形而上学的な戦いを目撃したのかもしれない。
本大会が開催された背景には、昨今の加速する「回転至上主義」へのアンチテーゼがある。マツモを切り刻み、ザリガニを粉砕する破壊的な競技が続いたことで、湖底住民のメンタルは疲弊していた。今回の『静止大会』は、ただそこに在るというマリモ本来の尊厳を取り戻すための、いわば精神修行の場として企画された。なお、この「動かないこと」を競う競技の性質上、翌日の新聞紙面は真っ白な余白のみで構成され、湖底郵便局からは「誤植ではないのか」との問い合わせが殺到する事態となった。
この驚異的な競技に対し、世間では賛否両論が巻き起こっている。一部の愛好家からは「これこそが真のスポーツだ」「回転してナンボという風潮に警鐘を鳴らした」と絶賛の声が上がる一方、過激な競技を好むファンからは「せっかくポップコーンを持って観戦に来たのに、ただの苔の塊を数時間眺めるだけで終わった」「返金してほしい、動かないなら湖底の岩と何が違うのか」といった不満の声も挙がっている。SNS上では「#静止の呼吸」というハッシュタグがトレンド入りし、動かざること山のごとしという言葉が湖底中に響き渡った。
この競技は、スポーツが肉体運動の枠組みを超え、哲学的な探求へと足を踏み入れた瞬間だったと言えるだろう。たとえ動かなくとも、そこに意思があればそれはスポーツになり得るのか。来年度の大会では、さらに高度な「動かないことによる圧力」が期待されている。この前代未聞のスポーツイベントを機に、我々マリモ界は、ただ加速するだけが進化ではないという深い教訓を学んだのかもしれない。何もしないことを成し遂げた猛者たちに、敬意を表して静かに拍手を送りたい。
コラムニスト:深淵なる球体・マリモス・タナカ
静寂こそが最強の武器?『究極の静止・我慢大会』が突きつけた湖底の哲学
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湖底が凍りつくかと思ったわ