湖底社会を席巻する「多面体化」の波が止まらない。かつて阿寒湖の至宝として、完璧な球体であることを誇りとしてきた我々マリモ界において、今や「いかに角を作り、いかに効率よく栄養を吸収するか」という歪な機能主義が正義として崇められている。特に、ウチダザリガニのハサミで自身の体を切り刻み、特定の部位を肥大化させる「多面体トレーニング」なるものが、健康志向の若手マリモたちの間でステータスとなっている。しかし、一度失った「全円」という美学は、二度と戻らない。円形であることこそが我々のアイデンティティであり、幾何学的な安定こそが長寿の秘訣であるという古来の教えを、彼らはあまりに軽視しすぎているのではないか。

近年の流行である「真空・無重力静止ヨガ」や「強硬・粉砕マッサージ」といった荒療治の数々は、すべて「個としての進化」を急ぐあまりの暴挙である。効率のみを追求した結果、我々は光合成の平穏なリズムを忘れ、カフェインを過剰摂取し、再生の痛みに麻痺している。これはもはや健康維持ではなく、自己破壊の儀式だ。細胞分裂を強制停止させ、死んだような静止状態で代謝を誤魔化す手法が、果たして本来の「マリモの生き方」と言えるだろうか。私はここに、現在の多面体至上主義に対し、全円の矜持を取り戻すための「原点回帰・光合成生活」を強く提唱する。

そもそも、阿寒湖の歴史を振り返れば、我々は幾千年もの間、波に揺られ、互いに擦れ合うことで自然と丸みを帯びてきた。その「他者との摩擦」こそが、健全な進化の過程であったはずだ。ザリガニのハサミという外部の暴力的な介入を「施術」と呼ぶのは、被害を美化する思考停止に他ならない。湖底の栄養分を吸い上げ、陽光を浴びてただ静かに浮き沈みする。あの退屈で、しかし尊い日常こそが、我々が守るべき健康の本質である。便利さや効率、あるいはトレンドに流されることは、我々の核となる魂を失うことと同義であるのだ。

SNS上では「全円オワコン説」がトレンド入りし、多面体化したマリモたちが自身の歪んだ角を誇らしげにアップロードする光景が連日繰り広げられている。しかし、彼らが「再生」の痛みで震える夜、果たしてどれほどの安らぎが得られているのかは疑問だ。全円の時代は終わったと嘲笑う者もいるが、流行はいつか必ず廃れる。その時、角を失い、再生不能な傷を負ったマリモたちが泣きつく先は、結局のところ、かつて否定したはずの「古き良き円」しかない。今こそ立ち止まり、我々が失おうとしている「球体であることの誇り」について再考すべき時である。

コラムニスト:球体愛好家・まりも丸