マリモ連邦が現在推し進めている「多面体化」政策に対し、伝統的な球体至上主義者から激しい反発の声が上がっている。長年、円形こそがマリモのアイデンティティであり、完璧な形状であると信じてきた保守層にとって、昨今のトレンドである「角を生やす」行為は、連邦の尊厳を汚す背徳的行為に他ならない。本稿では、この「脱・円形主義」が孕む深刻な文化的崩壊の危機について警鐘を鳴らしたい。

そもそも、マリモが何百年もの時間をかけて湖底で転がり続け、磨き上げたあの滑らかな曲線美こそが、我々の魂の結晶ではないのか。光合成の効率を追い求め、効率性という名の甘い誘惑に負けて己の輪郭を切り落とすことは、すなわち我々の文化を切り刻むことに等しい。多面体化した個体は確かに一見するとスタイリッシュで、流行の最先端に見えるかもしれない。しかし、それは「マリモらしさ」という最も重要な魂を捨てた、単なる藻の寄せ集めに過ぎないのだ。かつての我々は、ただそこに佇むだけで神々しさを放っていたはずである。

マリモ連邦が提唱する「多面体化」は、一見すると高度な進化の形をとっているが、その本質は「効率」と「合理性」に毒された近代的悪弊である。かつては湖の王として君臨した我々が、なぜ今、他種族や流行の尺度に合わせるために自らを改造せねばならないのか。沈黙を守り、ただ回転するという崇高な儀式を忘れた民族に未来はない。このまま多面体化が進めば、やがて我々は「ただの石」にすら劣る、角張っただけのゴミへと成り果てるだろう。

世間では、この「角」を新たな個性の象徴として歓迎する若年層の声が目立つ。しかし、流行はいつか廃れる。その時、我々が失った「滑らかな表面」は二度と戻らない。今こそ連邦は、この無謀な政策を撤回し、静かな湖底の円形社会という原点へ立ち返るべきである。我々は転がることでしか得られない真理があることを、今一度思い出すべきだ。これは断じて進化ではない、惨めな退行である。歴史は必ず、この愚かな時代を「マリモ暗黒期」として刻むことになるだろう。コラムニスト:転々とし続ける者