歴史・12月30日
明治政府が「太陰暦廃止・太陽暦採用」の詔書を布告した日
12月30日は、明治政府が太陰暦を廃止し、太陽暦を採用する詔書を布告した日です。これにより、日本は翌年から新暦(グレゴリオ暦)へ移行することとなりました。歴史的な大きな転換点となったこの布告について解説します。
太陰暦廃止と太陽暦採用の布告
明治5年11月9日(グレゴリオ暦1872年12月30日)、明治政府は太陰暦(天保暦)を廃止し、翌年から太陽暦を採用するという詔書を布告しました。これにより、明治5年12月3日の翌日を明治6年(1873年)1月1日とすることが定められました。
背景とその後の影響
当時の日本は太陰暦を採用していましたが、欧米各国との外交や国際基準への適合、また明治政府の財政的な理由(閏月があることによる官吏の給与支払いの問題など)から、暦の改定が急務とされていました。この急激な改暦は当時の社会に大きな混乱をもたらしましたが、近代化を進める上で重要な制度改革の一つとなりました。
ポイント
- 明治5年11月9日(1872年12月30日)に詔書が布告された。
- 明治6年(1873年)から太陽暦(グレゴリオ暦)が導入された。
- 明治5年の12月は、3日までの短い月となった。