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歴史・12月7日

日露和親条約(下田条約)が調印された日

1855年12月7日(安政2年10月28日)、日本とロシアの間で日露和親条約(下田条約)が調印されました。鎖国体制にあった日本がロシア帝国と結んだ最初の国交文書であり、両国の国境画定や開港を取り決めた歴史的な条約です。

日露和親条約の調印と経緯

安政2年10月28日(西暦1855年12月7日)、伊豆国下田(現在の静岡県下田市)の長楽寺において、日本側の全権代表である筒井政憲・川路聖謨と、ロシア側の全権代表であるプチャーチンとの間で「日露和親条約」が調印されました。前年のペリー来航による日米和親条約締結に続き、ロシアとも和平と通商に関する条約が結ばれることになりました。

条約の内容と国境の画定

この条約により、日本とロシアの間に平和友好関係が樹立され、下田・函館・長崎の各港が開港されました。また、択捉島とウルップ島の間に国境が置かれることが確認され、樺太(サハリン)については両国の雑居地と定められました。さらに、ロシア人に対する日本国内での行動範囲の制限や、治外法権の認可などが取り決められました。

その後の影響

日露和親条約は、日露間の最初の正式な国交関係を築いた点で重要な意味を持ちます。しかし、国境が未確定であった樺太などをめぐる領土問題はその後も継続し、明治期の樺太・千島交換条約へとつながっていくことになります。

ポイント

  • 調印日は安政2年10月28日(1855年12月7日)である。
  • 調印場所は伊豆国下田の長楽寺である。
  • 日本側全権は筒井政憲と川路聖謨、ロシア側全権はプチャーチンであった。
  • 択捉島とウルップ島の間が国境と定められた。