歴史・12月6日
イギリスと清の間で北京条約が締結(1860年)
1860年12月6日、イギリスと清の間で北京条約が締結されました。これはアロー戦争の講和条約であり、清朝にとって不平等条約の一つとなりました。この条約により、中国の近代史において重要な権益の割譲や開港が行われました。
北京条約締結の背景
1856年に勃発したアロー戦争において、イギリス・フランス連合軍は清軍を圧倒し、1860年には首都である北京へと迫りました。同年10月に北京が占領され、円明園が破壊されるなどの事態を受け、清朝は欧米列強との間で講和条約を結ばざるを得なくなりました。その一環として、12月6日にイギリスとの間で北京条約が締結されました。
条約の内容とその影響
この条約により、清はすでに結ばれていた天津条約の批准に加え、九龍半島南部(界限街以南)のイギリスへの割譲や、天津の開港、イギリス人労働者の海外渡航(クーリー貿易)の容認などが定められました。これにより、イギリスの中国における権益はさらに拡大し、清の半植民地化が一段と進行することとなりました。
ポイント
- 締結日は1860年12月6日である。
- アロー戦争の講和条約として締結された。
- 九龍半島南部の割譲などが取り決められた。