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歴史・11月16日

オーストリア=ハンガリー帝国がボスニア・ヘルツェゴビナ併合を宣言

1908年11月16日、オーストリア=ハンガリー帝国は、それまでオスマン帝国から委任統治していたボスニア・ヘルツェゴビナの併合を宣言しました。この一方的な宣言は、バルカン半島の緊張を高め、のちの第一次世界大戦へとつながる深刻な国際危機を引き起こす要因となりました。

併合宣言の経緯

オーストリア=ハンガリー帝国は、1878年のベルリン条約に基づき、オスマン帝国の主権下にあったボスニア・ヘルツェゴビナの占領と統治を行っていました。その後、1908年10月に同帝国の外相アロイス・フォン・エレンタールとロシアの外相アレクサンドル・イスヴォリスキーの間で秘密裏に協議が行われ、ロシアがボスニア・ヘルツェゴビナの併合を黙認する見返りに、オーストリア=ハンガリー帝国はトルコ海峡のロシア軍艦通行権を支持することで合意が形成されました。この外交的下準備を経て、同年11月16日に正式な併合宣言がなされました。

国際的な反発と影響

この一方的な併合宣言は、ボスニア・ヘルツェゴビナの領有権を主張していたセルビアや、同地域のスラブ系住民を守る立場をとるロシアの激しい反発を招きました。また、オスマン帝国やイタリアも反発し、ヨーロッパ全体を揺るがす「ボスニア危機」へと発展しました。ロシアは最終的に軍事力不足からドイツの支持を受けたオーストリア=ハンガリー帝国の要求を受け入れざるを得なくなり、セルビアも併合の承認を余儀なくされました。しかし、この事件によってロシアとセルビアの対抗意識が決定的なものとなり、数年後に発生するサラエボ事件と第一次世界大戦の遠因となりました。

ポイント

  • オーストリア=ハンガリー帝国によるボスニア・ヘルツェゴビナ併合の宣言日
  • 背景に1878年のベルリン条約による委任統治の歴史がある
  • バルカン危機の引き金となり、第一次世界大戦への導火線となった