歴史・10月18日
新選組の近藤勇が板橋で処刑された日
1868年10月18日(慶応4年9月4日)、幕末の京都で治安維持にあたった新選組の局長・近藤勇が、板橋刑場にて処刑されました。流山で新政府軍に降伏したののち、甲陽鎮撫隊の敗戦などを経て迎えた最期でした。この出来事は、新選組の事実上の終焉と、旧幕府勢力に対する新政府軍の厳格な姿勢を示す歴史的事件となりました。
近藤勇の処刑と最期
鳥羽・伏見の戦い以降、旧幕府軍とともに敗走を重ねた近藤勇は、大久保大和と変名して再起を図りましたが、1868年4月に下総国流山で新政府軍に包囲され、捕縛されました。その後、板橋宿の本陣に送られて取り調べを受け、幕府側の要人として、また朝敵として裁かれることになりました。同年10月18日、板橋刑場において斬首刑に処され、享年34という若さで生涯を閉じました。
事件の背景と影響
戊辰戦争の最中、新政府軍は旧幕府の主要な指導者や、治安組織であった新選組に対して厳しい処分を下していました。近藤勇の処刑もその一環であり、首は京都に送られて三条河原で晒されるなど、旧幕府勢力への見せしめとしての意味合いを持っていました。この死により、京都の街を守るために組織された新選組の指導者は失われ、組織は完全に崩壊へと向かうことになりました。
ポイント
- 近藤勇が処刑されたのは1868年10月18日(慶応4年9月4日)である。
- 処刑場となったのは武蔵国板橋(現在の東京都板橋区)の刑場である。
- 享年は34歳であった。