歴史・10月11日
南北朝時代、後醍醐天皇が吉野へ逃れて南朝を立てた日(建武5年/延元3年旧暦)
建武5年/延元3年旧暦の10月11日、南北朝時代において後醍醐天皇が京都を脱出して吉野へ入り、南朝を立てた日です。これにより、日本は京都の北朝と吉野の南朝が並立する本格的な南北朝時代へ突入しました。この動乱は日本の政治や文化に大きな影響を与えました。
吉野への逃避と南朝の成立
建武5年(延元3年)旧暦10月11日、足利尊氏との戦いに敗れ劣勢にあった後醍醐天皇は、比叡山を経て大和国の吉野(現在の奈良県吉野町)に入りました。吉野で朝廷を開いたことにより、京都の光明天皇(足利陣営によって擁立)に対抗する南朝政権が本格的に確立されました。
その後の影響
後醍醐天皇が吉野に朝廷を移したことで、日本は京都の「北朝」と吉野の「南朝」という2つの朝廷が並立する南北朝時代となりました。この対立は約半世紀にわたって続き、各地の武士勢力を巻き込んだ全国的な内乱へと発展しました。
ポイント
- 日付は建武5年/延元3年の旧暦10月11日である。
- 後醍醐天皇が吉野へ逃れ、南朝を立てた日である。