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歴史・10月7日

関ヶ原の戦いで石田三成らが敗北・捕縛(慶長5年)

慶長5年10月7日(西暦1600年11月13日)、関ヶ原の戦いで敗走した石田三成が近江国で捕縛されました。この戦いの実質的な決着を示す重要な出来事であり、その後の徳川氏による覇権確立へと繋がる歴史的な転換点となりました。

関ヶ原の戦いと石田三成の敗北

慶長5年9月15日(1600年10月21日)に行われた関ヶ原の戦いにおいて、石田三成率いる西軍は徳川家康率いる東軍に敗北しました。戦後、三成は居城である佐和山城へは戻れず、伊吹山方面へ逃亡しました。

捕縛の経緯とその後の影響

逃亡を続けた石田三成は、近江国古橋村(現在の滋賀県長浜市)の山中で、田中吉政の捜索隊によって発見され、捕縛されました。その後、京都へ送られた三成は、六条河原において処刑されました。三成の捕縛と処刑により、豊臣政権下での西軍勢力は完全に瓦解し、徳川家康による天下統一の動きが決定的なものとなりました。

ポイント

  • 慶長5年10月7日(1600年11月13日)に石田三成が捕縛された。
  • 捕縛したのは徳川方についた武将・田中吉政の軍勢である。
  • この敗北と処刑により、関ヶ原の戦いの戦後処理が進展した。