社会・9月29日
新東京国際空港(現・成田国際空港)が開港決定の閣議了解
9月29日は、新東京国際空港(現在の成田国際空港)の建設に関する閣議了解がなされた日です。日本の航空政策および首都圏の空の玄関口の歴史において、極めて重要な転換点となった出来事です。ここでは、その閣議了解の経緯と、その後の空港整備に向けた歴史的背景について解説します。
新東京国際空港の閣議了解
1960年代に入り、経済成長や国際化に伴う航空需要の急増に対応するため、羽田空港だけでは将来的な処理能力が不足することが確実視されるようになりました。これを受け、政府は首都圏における新たな国際空港の建設に向けた検討を進め、1966年(昭和41年)9月29日の閣議において、新東京国際空港の建設地および基本方針が了解されました。
その後の影響と展開
この閣議了解を経て、当初は千葉県富里村周辺が候補地として挙げられたものの、最終的に同県成田市三里塚周辺が建設地として決定されました。しかし、用地買収や安全性・騒音問題を巡り、地元住民や支援者による激しい反対運動(三里塚闘争)が巻き起こるなど、開港までに多くの曲折を経ることになりました。その後、1978年(昭和53年)に開港を迎え、現在の成田国際空港として日本の国際航空網の拠点となっています。
ポイント
- 新東京国際空港の建設に関する閣議了解は1966年(昭和41年)9月29日に行われた。
- 増大する国際航空需要に対応するための首都圏の新たな拠点空港として計画された。
- その後の用地選定や建設を巡っては、激しい反対運動などの社会的な歴史的背景が存在する。