歴史・9月27日
ソ連が中心となりコミンフォルムが結成された日
9月27日は、1947年にソ連を中心とする欧州各国の共産党・労働者党代表者会議によって、コミンフォルム(情報局)が結成された日です。第二次世界大戦後の冷戦構造の初期において、東西陣営の対立を決定づけた重要な歴史的出来事の一つです。ここでは、その結成の経緯や背景、その後の影響について解説します。
コミンフォルム結成の経緯
1947年9月27日、ポーランドのヴィスワ河畔にあるシュクラルスカ・ポレンバで、ソ連、ユーゴスラビア、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、フランス、イタリアの9か国の共産党・労働者党代表者会議が開催されました。この会議において、各国共産党間の情報交換と活動調整を行う組織として「共産党・労働者党情報局」、通称「コミンフォルム」の結成が決定されました。
歴史的背景と冷戦への影響
当時、第二次世界大戦後のヨーロッパでは、アメリカを中心とする資本主義陣営と、ソ連を中心とする社会主義陣営の対立が深まりつつありました。アメリカが発表したヨーロッパ復興援助計画(マーシャル・プラン)に対抗するため、ソ連は東欧諸国の統制を強める必要がありました。コミンフォルムは、事実上解散していたコミンテルン(国際共産党)の後継組織的な性格を持ち、ソ連指導部の方針に従って各国の共産党を指導・統制する役割を果たしました。
組織の解散
コミンフォルムは結成後、ユーゴスラビア共産党との対立(インフォビュロ事件)などを経て、ソ連とユーゴスラビアの関係悪化などの要因もありました。その後、スターリンの死去に伴うソ連の外交方針の転換や、東西関係の緊張緩和(デタント)の動きの中で、1956年に解散が宣言されました。
ポイント
- 1947年9月27日に結成が発表された。
- ソ連を含むヨーロッパの9か国の共産党・労働者党が参加した。
- 第二次世界大戦後の東西冷戦初期における重要な国際組織である。
- 1956年に解散した。