歴史・9月24日
後醍醐天皇が隠岐へ配流された日
元弘元年9月24日(ユリウス暦1331年10月25日)、鎌倉時代末期に倒幕計画が発覚した后醍醐天皇が、隠岐国へ配流される端緒となった出来事です。この動きは、その後の鎌倉幕府の滅亡と建武の新政へとつながる重要な歴史的転換点となりました。
後醍醐天皇の隠岐配流の背景
鎌倉時代末期、後醍醐天皇は親政の復活を目指し、鎌倉幕府の打倒を計画しました。しかし、計画が事前に漏洩したため(元弘の変)、幕府は京都での統制を強めました。天皇は京を脱出して笠置山に立てこもりましたが、幕府軍の攻撃により落城し、捕らえられました。
事件の経過とその後の影響
幕府によって捕らえられた後醍醐天皇は、隠岐島への配流を命じられました。孤島での厳しい配流生活を送ることになった後醍醐天皇ですが、島外の武士や皇子らによる倒幕運動は止みませんでした。のちに後醍醐天皇は隠岐を脱出し、足利尊氏や新田義貞らの離反も相まって、鎌倉幕府は滅亡へと追い込まれました。
ポイント
- 元弘元年9月24日は、暦の上ではユリウス暦の1331年10月25日に相当します。
- 後醍醐天皇の倒幕計画は元弘の変と呼ばれます。
- 隠岐への配流後、天皇は島を脱出して討幕運動を再開しました。