歴史・9月7日
北京条約が調印された日
9月7日は、清朝がイギリス・フランス・アメリカなどの列強と結んだ不平等条約である北京条約が調印された日です(歴史上の日付については諸説・複数存在する場合もありますが、ここでは1860年のアセアン・清間の動き等に関連する歴史的事実を指します)。この条約により、中国近代史における半植民地化がさらに進行することになりました。ここでは北京条約締結に至る歴史的背景とその影響について解説します。
北京条約の背景
アロー戦争(第二次アヘン戦争)の最中、英仏連合軍が北京近郊まで迫り、清朝皇帝が避難する事態となりました。これに伴い、清朝は列強との間で講和条約を締結せざるを得ない状況に追い込まれました。
条約の内容と影響
北京条約では、天津の開港やイギリスへの九龍半島南部割譲などが取り決められました。これにより外国の権益がさらに拡大し、清朝の主権侵害と半植民地化が決定的なものとなりました。
ポイント
- 北京条約はアロー戦争の講和条約として締結された。
- 清朝とイギリス・フランス等の間で結ばれた。
- 領土の割譲や開港などが定められた。