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歴史・8月23日

チェコスロバキアにワルシャワ条約機構軍が侵攻

1968年8月23日、チェコスロバキアで起きた民主化運動「プラハの春」に対し、ソビエト連邦を中心とするワルシャワ条約機構軍が軍事介入を行い、同国へ侵攻しました。この軍事行動により、チェコスロバキアの改革路線は頓挫し、冷戦期のヨーロッパにおける東側陣営の統制が改めて強まることになりました。

事件の背景と「プラハの春」

1968年春、チェコスロバキア共産党第一書記に就任したアレクサンドル・デュプチェクを中心に、「人間の顔をした社会主義」を掲げた政治・経済の民主化改革が進められました。検閲の廃止や言論の自由の拡大などを含むこの動きは「プラハの春」と呼ばれ、国民の強い支持を得ましたが、ソ連をはじめとする周辺の共産党政権からは、社会主義体制への脅威とみなされました。

ワルシャワ条約機構軍の侵攻

ソ連、ポーランド、ハンガリー、ブルガリア、東ドイツのワルシャワ条約機構加盟国(ルーマニアとアルバニアを除く)の軍隊が、1968年8月21日の夜から22日にかけてチェコスロバキア国境を越えて侵攻を開始しました。首都プラハをはじめとする主要都市は軍に制圧され、指導部隊は拘束されました。チェコスロバキア側は武力抵抗を行わず、非暴力による抗議活動を展開しましたが、多数の死傷者が出ました。

その後の影響

この軍事介入を正当化するため、ソ連は「ブレジネフ・ドクトリン(制限主権論)」を提唱し、社会主義国の共同体が脅かされた場合、ソ連が介入する権利があるとの立場を示しました。これにより、チェコスロバキアの改革は完全に押し潰され、厳格な体制へと引き戻されました。国際社会からは強い非難が巻き起こり、東西冷戦の緊張が再び高まる転換点となりました。

ポイント

  • 1968年8月に発生したチェコスロバキアへの軍事介入事件である。
  • ソビエト連邦を中心とするワルシャワ条約機構軍が実行した。
  • 「プラハの春」と呼ばれる民主化・自由化路線を抑圧することが目的であった。
  • 事件後にソ連の「ブレジネフ・ドクトリン」が提唱された。