歴史・8月19日
イラン・クーデターによりモサデク政権が打倒された日
1953年8月19日、イランにおいてアメリカやイギリスの諜報機関の支援を受けたクーデターが発生し、モサデク首相の政権が打倒されました。この出来事は、イランの近代史および中東地域における西側諸国の介入を示す重要な転換点となりました。
クーデターの背景
当時、イランの首相であったモハンマド・モサデクは、1951年に石油産業の国有化断行を主導しました。これに対し、イランの石油利権を掌握していたイギリスは強い経済制裁や封鎖を行い、モサデク政権との対立が深まりました。冷戦構造の中で、アメリカのアイゼンハワー政権も、イランがソビエト連邦側に接近することを懸念し、イギリスとともにモサデク政権排除のための作戦(AJAX作戦)を計画しました。
事件の経過と打倒
1953年8月中旬、アメリカのCIAやイギリスのSISなどの支援を受けた国内の反モサデク派や軍部が行動を起こしました。数日間の混乱と衝突を経て、8月19日までにモサデク政権は実質的に崩壊し、モサデクは身柄を拘束されました。これにより、一時的に国外逃亡していた国王モハンマド・レザ・パフラヴィーが権力の座に復帰しました。
その後の影響
モサデク政権の打倒により、パフラヴィー国王による親米・親西欧の独裁体制が強化されました。石油産業の管理権は国際的なコンソーシアムの手に移ることになりましたが、このクーデターによる西側諸国の内政干渉は、後のイラン国民の間に強い反米感情を植え付けることとなり、1979年のイラン・イスラム革命へとつながる深い禍根を残す歴史的事件となりました。
ポイント
- 1953年8月19日に発生したイランのクーデターにより、モサデク政権が打倒された。
- イギリスとアメリカの諜報機関が政権転覆工作に関与していた。
- この出来事によりモハンマド・レザ・パフラヴィー国王の権力が強化された。