歴史・8月10日
トルコと連合国の間でセーヴル条約が調印
1920年8月10日、第一次世界大戦の講和条約として、オスマン帝国(トルコ)と連合国の間でセーヴル条約が調印されました。この条約により、オスマン帝国は広大な領土を失い、事実上の解体へと追い込まれました。しかし、トルコ国民の強い反発を招き、のちに別の条約へと置き換えられることになりました。
セーヴル条約の調印と内容
1920年8月10日、フランスのセーヴルにおいて、第一次世界大戦で敗北したオスマン帝国と、イギリス、フランス、イタリアなどの連合国との間で講和条約であるセーヴル条約が調印されました。この条約によって、オスマン帝国は中東におけるアラブの諸地域(シリア、レバノン、パレスチナ、メソポタミアなど)の領有権を放棄し、アナトリア半島周辺の領土も分割・縮小させられました。また、海峡の国際管理や、軍備の大幅な制限、財政の連合国側による管理などが規定されました。
背景と歴史的影響
第一次世界大戦で同盟国側として参戦し敗北したオスマン帝国に対し、連合国側は厳格な解体・分割方針を突きつけました。しかし、セーヴル条約で定められた過酷な条件は、ムスタファ・ケマル(のちのケマル・アタチュルク)率いるトルコ国民運動の激しい反発を引き起こしました。トルコ革命を通じて新たな独立戦争を戦い抜いたトルコ側は、セーヴル条約の履行を阻止し、1923年に新しい講和条約であるローザンヌ条約を締結することに成功しました。これにより、現代のトルコ共和国の国境線と主権が確立されることになりました。
ポイント
- 調日は1920年8月10日である。
- 調印場所はフランスのセーヴルである。
- オスマン帝国と第一次世界大戦の連合国の間で結ばれた。
- のちにローザンヌ条約に置き換えられた。