歴史・7月12日
フランス・パリのバスティーユ牢獄襲撃の前夜、デモ隊と国王軍が衝突した日(1789年)
1789年7月12日、フランス・パリにおいて、のちのバスティーユ牢獄襲撃の直前にあたる前夜、市民のデモ隊と国王軍が衝突しました。この衝突は、緊迫するパリ市内の情勢をさらに悪化させ、フランス革命の本格的な勃発へとつながる重要な歴史的転換点となりました。
事件の背景
18th世紀末のフランスでは、財政難や飢饉に苦しむ平民層の間で旧体制(アンシャン・レジーム)に対する不満が高まっていました。同年5月に三部会が招集されたものの身分間対立が続き、国民議会が結成されるなど政治的な緊張が増していました。ルイ16世が改革派の財務長官ジャック・ネッケルを解任したという情報が12日にパリに伝わると、市民の間で国王側による議会弾圧への警戒感が一気に高まりました。
デモ隊と国王軍の衝突
ネッケル解任の報せを受け、パリの市民や労働者らは激昂して街頭に繰り出し、抗議デモを展開しました。チュイルリー庭園周辺などでは、ランベスク公率いる王室騎兵隊などの国王軍とデモ隊が衝突し、負傷者が出る事態となりました。この武力衝突によってパリ市内の緊張は最高潮に達し、市民たちは自衛のための武器を求めて立ち上がることになりました。
その後の影響
国王軍との衝突を経て、パリ市民は武器や火薬を求めて行動を起こし、翌々日の1789年7月14日には象徴的な建造物であったバスティーユ牢獄の襲撃事件へと発展しました。この一連の民衆蜂起はフランス革命の導火線となり、王権の絶対性が揺らぐ契機となりました。
ポイント
- 1789年7月12日は、バスティーユ牢獄襲撃(7月14日)の直前にあたる日である。
- 財務長官ジャック・ネッケルの解任が市民の怒りを呼び起こす契機となった。
- チュイルリー庭園周辺などで国王軍とデモ隊の間で衝突が発生した。