歴史・7月10日
伴天連追放令が発布される
天正15年7月10日(西暦1587年8月13日)、豊臣秀吉がキリスト教の宣教師を対象とした追放令である「伴天連追放令」を発布しました。これは日本におけるキリスト教政策の大きな転換点となった出来事です。本記事では、この法令の発布に至る背景と歴史的影響について解説します。
伴天連追放令の発布
天正15年7月10日(1587年8月13日)、九州平定を終えた豊臣秀吉は、筑前国箱崎においてキリスト教の宣教師(バテレン)に対して日本からの退去を命じる朱印状を発布しました。これが一般に「伴天連追放令」と呼ばれるものです。この法令では、日本を「神国」と位置づけ、キリスト教が従来の神道や仏教の教えに反するものであると批判しました。
背景と影響
秀吉がこの措置に踏み切った背景には、宣教師たちがキリスト教布教の背後で日本人の奴隷売買に関与している実態を知ったことや、神社仏閣の破壊などを問題視したことがあります。また、統一政権を進める上で、国内の求心力を高め、外国勢力の動向を警戒する意図があったとも指摘されています。ただし、この時点では直ちに強力な弾圧が行われたわけではなく、南蛮貿易の継続は認められていました。本格的なキリスト教禁教と弾圧政策は、後の江戸幕府による禁教令へと引き継がれていくことになります。
ポイント
- 発布日は天正15年7月10日(西暦1587年8月13日)である。
- 発布者は天下人である豊臣秀吉である。
- キリスト教の宣教師(バテレン)の追放と布教の制限を目的とした。