歴史・7月5日
ペリー艦隊が久里浜に来航(嘉永6年6月3日=太陽暦換算で1853年7月5日または8日、正確には旧暦6月3日)
1853年7月5日(嘉永6年6月3日)、アメリカ東インド艦隊司令長官マシュー・ペリー率いる艦隊が相模国久里浜(現在の神奈川県横須賀市)に来航しました。いわゆる「黒船来航」の一つであり、日本の鎖国体制に大きな転換点をもたらした歴史的な出来事です。
ペリー艦隊の久里浜来航
嘉永6年6月3日(1853年7月5日)、アメリカ海軍の軍艦4隻(蒸気船2隻、帆船2隻)が浦賀沖に現れ、のちに久里浜に上陸しました。ペリーはアメリカ大統領の国書を江戸幕府に手渡すため、武力威圧を背景に開国を迫りました。これに対し、幕府は応接にあたり、国書を受理した上で翌年の回答を約束しました。
その後の影響と歴史的背景
この来航により、江戸幕府は長年の鎖国政策の転換を余儀なくされました。翌1854年(安政元年)には日米和親条約が締結され、日本は開国へと舵を切ることになりました。この出来事は、日本の近代化への契機となると同時に、幕府の権威を揺るがし、幕末の動乱へとつながる重要な歴史的転換点となりました。
ポイント
- 1853年7月5日(旧暦・嘉永6年6月3日)に発生した。
- マシュー・ペリー率いるアメリカ東インド艦隊が来航した。
- 浦賀沖を経て久里浜に上陸し、アメリカ大統領国書を幕府に提出した。
- 翌年の日米和親条約締結へとつながった。