歴史・6月24日
サラエボ事件が発生(オーストリア皇太子夫妻暗殺)
1914年6月24日は、第一次世界大戦の導火線となったサラエボ事件が発生する直前の時期にあたります。オーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者夫妻がボスニアの首都サラエボを訪問し、その数日後の6月28日に暗殺されました。この事件はヨーロッパ全体の対立を決定的なものとし、世界大戦へと発展する契機となりました。
サラエボ事件の概要
1914年6月28日、オーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大夫と妻のゾフィーが、ボスニアの首都サラエボを視察中にセルビア人ナショナリストのガブリロ・プリンツィプによって銃撃され、暗殺されました。この事件は、当時バルカン半島を巡って対立していたオーストリアとセルビアの緊張関係を極限まで高めました。
歴史的背景と影響
当時、ボスニア・ヘルツェゴビナはオーストリアに併合されていましたが、周辺のスラヴ系住民やセルビア人はこれに強く反発していました。オーストリアは暗殺事件の背後にセルビアがあると断定して宣戦布告を行い、ロシア、ドイツ、フランス、イギリスなど欧州の主要国が同盟関係に基づいて次々と参戦しました。これにより、局地的な紛争であったものが世界規模の第一次世界大戦へと拡大しました。
ポイント
- 発生日は1914年6月28日である。
- 被害者はオーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント夫妻である。
- 実行犯はセルビア人のガブリロ・プリンツィプである。
- この事件が第一次世界大戦の直接の引き金となった。