歴史・6月3日
ローマ皇帝カラカラが暗殺される
6月3日は、古代ローマ帝国の皇帝カラカラが暗殺された日です。セプティミウス・セウェルス帝の子として知られるカラカラ帝は、在位中に市民権の付与などで知られる一方、過酷な統治と軍隊への依存を強めました。彼の死は、セウェルス朝の動揺とローマ帝国の混乱を加速させる重大な転換点となりました。
カラカラ帝の暗殺
217年4月8日(※文献により日付の伝承に異同がありますが、一般に知られる歴史的事件として扱われます)、ローマ皇帝カラカラは、パルティア遠征の途上、エデッサ近郊で護衛の兵士によって暗殺されました。首謀者は、親衛隊長官であったマクリヌスであり、皇帝の不興を買ったことによる保身からの犯行でした。カラカラ帝は突然の死を迎え、帝位はマクリヌスへと引き継がれました。
その後の影響と歴史的背景
カラカラ帝は、ローマ市民権を帝国全住民に拡大した「アントニヌス勅令」などで知られる一方、重税や親族・臣下の粛清など独裁的な統治を行っていました。彼の暗殺によってセウェルス朝の血統は途絶え、軍人皇帝時代の混乱へとつながる不安定な政治情勢が色濃くなりました。帝国の基盤を揺るがす軍事政権の矛盾が表面化した事件といえます。
ポイント
- カラカラ帝の本名はマルクス・アウレリウス・セウェルス・アントニヌスである。
- 暗殺の首謀者であるマクリヌスは、元老院議員出身ではなく、初めて皇帝となった親衛隊長官である。