歴史・5月28日
コンスタンティノープル陥落により東ローマ帝国が滅亡
1453年5月28日は、オスマン帝国によるコンスタンティノープル総攻撃の最中であり、翌5月29日に同都市が陥落して東ローマ帝国が滅亡した歴史的な転換点です。千年以上続いた帝国の終焉は、中世から近世への移行を象徴する出来事となりました。
コンスタンティノープル陥落の背景
東ローマ帝国の首都であったコンスタンティノープルは、強固な城壁に守られた難攻不落の都市として知られていました。しかし、勢力を拡大するオスマン帝国のスルタンであるメフメト2世は、帝国の完全な征服を目指して大規模な軍勢と最新の大砲を用いて包囲攻撃を行いました。
滅亡の影響
5月29日の最終総攻撃により都市は陥落し、最後の皇帝コンスタンティノス11世パレオロゴスは戦死しました。これにより、古代ローマから連綿と続いてきた東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は滅亡しました。首都を失ったことで東西の陸上貿易路がオスマン帝国の支配下に入ったため、西欧諸国は新たな海上貿易ルートを求めて大航海時代へと向かうことになりました。
ポイント
- コンスタンティノープルは1453年5月29日に陥落した。
- オスマン帝国の君主はメフメト2世であった。
- 東ローマ帝国の最後の皇帝はコンスタンティノス11世パレオロゴスである。