歴史・5月27日
鎌倉幕府の執権・北条高時が挙兵し、鎌倉幕府が滅亡
元弘3年5月27日(1333年7月4日)、鎌倉幕府の第14代執権・北条高時が反幕府勢力に対して挙兵し、同日に東勝寺で一族とともに自害しました。これにより、源頼朝が創設した鎌倉幕府は約150年の歴史に幕を閉じ、滅亡しました。
鎌倉幕府滅亡の経緯
後醍醐天皇による倒幕運動(元弘の乱)が活発化する中、足利高尊が京都で幕府から離反して六波羅探題を攻め落とし、新田義貞も関東で挙兵して鎌倉へ進撃しました。新田勢との激しい戦いの末、鎌倉市中の東勝寺に追い詰められた北条高時をはじめとする北条一門や家臣らは、火を放って自害しました。
その後の影響
鎌倉幕府の滅亡により、鎌倉時代は終焉を迎えました。その後、後醍醐天皇による「建武の新政」が開始されることになりますが、武士層の不満から間もなく混乱が生じ、室町幕府の成立へとつながっていくことになります。
ポイント
- 発生日は元弘3年5月27日(ユリウス暦換算では1333年7月4日)。
- 北条高時は東勝寺で一族とともに自害した。
- 新田義貞による鎌倉攻めが幕府滅亡の直接的な引き金となった。