歴史・5月25日
大坂の陣:天王寺・岡山の戦い(夏の陣)
慶長20年5月6日(西暦1615年6月3日)、大坂夏の陣における天王寺・岡山の戦いが発生しました。前日の茶臼山の戦いなどに続き、豊臣方と徳川方の決戦となった大規模な野戦です。この戦いの結果、豊臣方は壊滅し、大坂の陣の勝敗が決定づけられました。
天王寺・岡山の戦いの概要
慶長20年5月6日(1615年6月3日)、大坂城外の天王寺および岡山周辺において、豊臣軍と徳川軍の間で激しい戦闘が行われました。豊臣方からは真田信繁(幸村)や毛利勝永らが決死の突撃を行い、徳川方の本陣に迫るなど猛烈な攻防戦を展開しました。しかし、数に勝る徳川軍の厚い陣容や組織的な反撃の前に、次第に押し戻されることとなりました。
真田信繁の討死と豊臣方の敗北
この戦いの最中、徳川家康の本陣を脅かした真田信繁は、安居神社(大阪市天王寺区)付近にて力尽き、討死しました。また、毛利勝永も奮戦の末に自刃するなど、豊臣方の主要な武将が相次いで命を落としました。これにより豊臣方の組織的抵抗力はほぼ失われ、大坂城は落城への道をたどることになりました。
その後の影響
天王寺・岡山の戦いでの敗北により豊臣方の勝敗は決し、同月には大坂城が落城して豊臣氏が滅亡しました。これにより戦国時代以来続いた大規模な内乱は終結し、徳川幕府による全国支配体制(武家諸法度や一国一城令など)が不動のものとなりました。
ポイント
- 発生日は慶長20年5月6日(ユリウス暦1615年6月3日 / グレゴリオ暦では6月3日)。
- 豊臣方の武将である真田信繁や毛利勝永らが討死・自刃した。