歴史・5月19日
吉田松陰が黒船密航を企てて下田で捕らえられる
安政元年(1854年)5月19日、長州藩士の吉田松陰が、開国を迫るアメリカの東インド艦隊(黒船)に密航するため、下田で小舟を漕ぎ出して乗り込みました。しかし、計画は失敗に終わり、幕府の役人に捕らえられて投獄されることになりました。この事件は、日本の鎖国体制が揺らぐ中で、海外の知識を直接得ようとした若き志士の強い焦燥と行動力を示す歴史的な出来事です。
事件の経緯
嘉永6年(1853年)にマシュー・ペリー率いるアメリカ艦隊が来航し、日本は開国を迫られました。長州藩の思想家・教育者である吉田松陰は、欧米の強大さや実情を自らの目で確かめる必要があると強く痛感していました。安政元年(1854年)、ペリーの艦隊が再び下田に来航した際、松陰は門人の金子重輔とともに小舟で旗艦ポーハタン号へと漕ぎ寄せ、密航を直訴しました。しかし、幕府の禁令を犯す海外渡航は許されず、ペリー側は密航を拒否して二人を幕府方に引き渡しました。
その後の影響
身柄を拘束された吉田松陰と金子重輔は、長州藩に送還され、さらに江戸の伝馬町牢屋敷などに投獄されました。その後、松陰は実家の吉田家に預けられて幽閉処分となりましたが、この幽閉期間中に私塾「松下村塾」を開き、高杉晋作や久坂玄瑞といった幕末維新の中心人物となる多くの若者たちを育成しました。密航の失敗は松陰にとって大きな挫折であった一方で、彼のその後の教育活動や思想形成の大きな転換点となりました。
ポイント
- 発生日は旧暦の安政元年5月19日(西暦1854年6月14日)にあたります。
- 同行者として門人の金子重輔が共に密航を企てました。
- 密航失敗後、松陰は郷里での幽閉生活の中で松下村塾を引き継ぎました。