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歴史・5月11日

島原の乱終結に向けた原城総攻撃(寛永15年)

寛永15年3月28日(西暦1638年5月11日)、江戸時代初期に起きた島原の乱において、幕府軍による原城への総攻撃が最終局面を迎えました。この戦いにより、数カ月に及んだ一揆勢と幕府軍の激しい攻防戦に終止符が打たれました。島原・天草の農民や浪人らを主体とした一揆勢は壊滅し、日本の宗教政策や対外関係にも大きな影響を与えました。

原城総攻撃の経緯

寛永14年(1637年)に勃発した島原の乱で、籠城した天草一揆勢は原城に立てこもりました。幕府は九州各地の大名を中心とした大規模な討伐軍を派遣し、長期の包囲戦を展開しました。兵糧や弾薬が枯渇しつつあった一揆勢に対し、幕府軍は寛永15年3月28日(ユリウス暦1638年5月11日)に総攻撃を開始し、激しい戦いの末に原城を落城させました。

乱の終結とその後の影響

原城の陥落により、島原の乱は終結しました。指導者である天草四郎をはじめとする籠城者の多くが命を落とし、生き残る者はほぼいませんでした。この大規模な一揆の鎮圧を契機として、江戸幕府はキリスト教に対する取り締まりをさらに強化し、いわゆる「鎖国」体制の完成へと向かうことになりました。

ポイント

  • 島原の乱の最終決戦である原城総攻撃は、寛永15年3月28日(1638年5月11日)に行われた。
  • この戦いにより島原の乱は終結し、幕府のキリスト教禁教政策が一段と強化された。