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歴史・4月10日

ナポレオン・ボナパルトがフォンテーヌブロー宮殿で退位文書に署名した日

1814年4月10日、フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトがフォンテーヌブロー宮殿において、無条件退位の文書に署名しました。前年のロシア遠征の失敗や諸国民戦争での敗北を受け、連合軍がパリへ入城したことで追い詰められた末の決断でした。この署名により、ナポレオンの第一帝政は一旦の終焉を迎えることになりました。

退位に至る歴史的背景

1812年のロシア遠征の大失敗以降、ナポレオン率いるフランス軍は急速に勢力を失いました。1813年のライプツィヒの戦い(諸国民戦争)で欧州連合軍に敗北すると、戦火はフランス本土へと及びました。1814年3月末には連合軍がパリに入城し、ナポレオンは軍事的・政治的に絶望的な状況に追い込まれました。元帥らからも退位を迫られたナポレオンは、4月6日にいったんは息子(ナポレオン2世)への継承を条件とする退位を提案したものの拒絶され、最終的に4月10日(実際の署名は4月11日に行われたが歴史的文書の日付等とされる)に無条件退位の文書に署名しました。

フォンテーヌブロー条約とその後の影響

退位に伴い、ナポレオンと連合軍の間でフォンテーヌブロー条約が締結されました。これにより、ナポレオンは皇帝の称号を保持したまま地中海のエルバ島を領有し、年金を受け取って隠退することが取り決められました。フランス国内ではブルボン朝が復活し、ルイ18世が即位して王政復古が成し遂げられました。しかし、エルバ島に流亡したナポレオンは翌1815年に島を脱出してパリへ戻り、いわゆる「百日天下」を引き起こすことになります。

ポイント

  • ナポレオンが退位文書に署名したのは1814年4月10日である。
  • 署名の舞台となったのは、パリ近郊にあるフォンテーヌブロー宮殿である。
  • この退位によりフランスの第一帝政が崩壊し、ブルボン朝による王政復古が実現した。