歴史・4月7日
ペリーが率いる黒船が下田に入港
4月7日は、歴史上においてマシュー・ペリー率いるアメリカ東インド艦隊(黒船)が下田に入港した日です。日米和親条約の締結を受け、開港された下田への艦隊の来航は、日本の開国と近代化に向けた重要な転換点となりました。この出来事は、鎖国体制にあった日本が国際社会へ歩み出す契機の一つとなりました。
下田入港の背景
1854年(安政元年)3月に日米和親条約が締結され、下田と箱館(現・函館)の開港が取り決められました。これに伴い、ペリーが率いる艦隊が再び日本近海を訪れ、具体的な開港条約の細目を詰めるため、同年4月7日(旧暦3月11日)に下田に入港しました。
その後の影響
下田に入港したペリー艦隊と幕府側との間で交渉が行われ、下田条約が結ばれました。これにより、アメリカ乗組員の遊歩区域の設定や応急品の供給ルールなどが定められ、下田は日本における最初の対外的な窓口の一つとして機能し始めました。諸外国との本格的な交流の始まりは、国内の政治情勢にも大きな影響を与えました。
ポイント
- 1854年4月7日(旧暦安政元年3月11日)、ペリーの黒船が下田に入港した。
- 前月に締結された日米和親条約に基づく開港の実行に伴うものである。
- 下田での交渉により、アメリカ人の行動範囲などを定めた下田条約が締結された。