歴史・4月4日
保屯の戦い(神武東征)
4月4日は、『日本書紀』の神武東征において神武天皇軍と長髄彦(ながすねひこ)軍の間で戦いが行われたとされる日です。保屯(ほず/ほと)の戦いとも呼ばれ、皇軍が苦戦した場面として伝えられています。古代の神話・伝承における重要な戦闘の一つです。
保屯の戦いの概要
『日本書紀』によれば、神武天皇が東征の途上、生駒山を経て中洲(大和国)へ侵攻しようとした際、地元の豪族である長髄彦が軍を率いて抵抗しました。この戦いで皇軍は長髄彦軍の激しい防衛に阻まれ、神武天皇の兄である五瀬命(いつせのみこと)が矢傷を負うなど、苦戦を強いられました。
その後の影響と伝承
この戦いでの苦戦を経て、神武天皇は正面から攻め入るのではなく、熊野から大和へ向かう迂回ルート(いわゆる鵄の羽の神助などの伝承)をとる戦略の変更を決断します。結果として東征の方向性が大きく変わり、後の大和朝廷の成立へとつながる神話的な転換点となりました。
ポイント
- 『日本書紀』の神武東征の記述に基づく伝承である。
- 神武天皇軍と長髄彦軍の間で戦われた。
- 神武天皇の兄である五瀬命が負傷したとされる。