歴史・3月15日
チェコスロバキアがドイツ軍により解体・占領される
1939年3月15日、ナチス・ドイツ軍がチェコスロバキアのボヘミアおよびモラヴィア地方に進駐し、事実上の解体と占領を行いました。前日のボヘミア・モラヴィア保護領の樹立宣言を受けたものであり、第二次世界大戦勃発前のヨーロッパにおける重大な転換点となりました。
事件の経緯
1938年秋のミュンヘン会談により、チェコスロバキアはズデーテン地方をドイツに割譲することを余儀なくされました。さらに1939年3月に入ると国内の民族対立が激化し、スロバキア自治政府が独立を宣言しました。同年3月15日、ドイツの首都ベルリンに呼び出されたチェコスロバキア大統領エミール・ハーハは、ドイツ軍の侵攻と首都プラハ爆撃を脅しに使われて降伏文書に署名させられました。これによりドイツ軍はボヘミアとモラヴィアに進駐し、同地域はドイツの「ボヘミア・モラヴィア保護領」となりました。
歴史的背景と影響
このチェコスロバキア解体は、ナチス・ドイツがドイツ系住民の保護を口実とした領土拡張にとどまらず、スラブ系住民の支配と他民族国家の完全な解体を目的としていることを明確に示しました。それまでドイツの侵略政策に対して宥和政策をとってきたイギリスやフランスなどの西欧列強も、ドイツの約束不履行と拡張主義の脅威を決定的に認識することとなり、外交方針の転換を余儀なくされました。この数ヶ月後の1939年9月のポーランド侵攻、そして第二次世界大戦の勃発へと直結する重要な歴史的事件です。
ポイント
- 1939年3月15日にドイツ軍がチェコスロバキアの残存地域に進駐した。
- 前日のスロバキア独立宣言と、チェコスロバキア大統領ハーハの降伏署名が背景にある。
- ボヘミア・モラヴィア保護領としてドイツの支配下に置かれた。
- 英仏の宥和政策から対独強硬姿勢への転換を決定づけた。