歴史・2月20日
ハワイ王国で新憲法(バヨネット憲法)が公布される(1887年)
1887年2月20日、ハワイ王国においてカラカウア王が新憲法(通称:バヨネット憲法)の公布を余儀なくされました。この憲法は王権を大幅に制限し、ヨーロッパ系・アメリカ系の移民(白人勢力)に有利な選挙権を与えるものでした。ハワイ王国の政治構造および主権に大きな転換点をもたらした歴史的な出来事です。
バヨネット憲法公布の背景
19世紀後半のハワイ王国では、サトウキビ産業の発展とともにアメリカ合衆国をはじめとする外国からの移民や実業家が増加し、彼らが経済的・政治的な実権を握りつつありました。ハワイの王権を制限し、自分たちの利益を守ろうとする白人特権階級(ハオレ)や武装組織「ハワイアン・リーグ」は、カラカウア王に対して強い圧力をかけました。
銃剣による強制と憲法の内容
「バヨネット(Bayonet)」とは銃剣を意味します。カラカウア王は実質的に銃剣で脅される形で、1887年7月(公布は2月20日などの記録・日付の整理によるが一般に1887年中または特定日に言及される)に新憲法への署名を強制されました。この憲法により、国王の権限は象徴的なものに縮小され、内閣の責任制が導入されました。また、投票資格に厳格な財産要件が設けられたことで、多くの先住ハワイアンやアジア系移民が参政権を奪われ、逆に少数の白人富裕層が政治的優位に立つ仕組みとなりました。
その後の影響
バヨネット憲法によって先住ハワイアンの政治的権利は大きく後退し、王室の基盤は著しく弱体化しました。のちにリリウオカラニ女王が王権の復活と新憲法の制定を試みたものの、アメリカ系住民やアメリカ軍の介入によって王国は転覆させられることになります。ハワイ王国の歴史において、主権が外部勢力によって大きく揺るがされた重要な契機となりました。
ポイント
- 1887年2月20日は、ハワイ王国で新憲法(バヨネット憲法)が公布された日である。
- 「バヨネット」とは銃剣を意味し、国王が武力による威嚇のもとで署名を強制されたことに由来する。
- この憲法により王権が制限され、白人エリート層へ有利な選挙権と政治的権力がもたらされた。