歴史・2月14日
イギリスの探検家ジェームズ・クックがハワイ諸島で先住民により殺害された日(1779年)
1779年2月14日、イギリスの著名な海洋探検家であるジェームズ・クックが、太平洋上のハワイ諸島(ハワイ島)で先住民との衝突により命を落としました。3度にわたる太平洋航海で偉大な功績を残したクックの突然の死は、当時世界に大きな衝撃を与えました。本記事では、この事件の経緯と歴史的背景について解説します。
ジェームズ・クックのハワイ諸島到達と事件の経緯
イギリス海軍の提督・探検家であったジェームズ・クックは、3度目の太平洋航海において、1978年にヨーロッパ人として初めてハワイ諸島(クックはこれを「サンドイッチ諸島」と命名)に到達しました。一度ハワイを離れて北太平洋の探索を行った後、船の修理のために1779年1月に再びハワイ島のケアラケクア湾に帰還しました。
当初、先住民との関係は比較的良好でしたが、次第に対立が深まりました。同年2月14日、クックの乗組員が使用していたボートが先住民に盗まれる事件が発生しました。これを解決し、またハワイの王族を人質にとってボートを返還させようと試みたクックは、自ら岸に上陸しました。しかし、その交渉の最中に群衆との間で小競り合いが起き、混乱の中でクックは先住民により刺殺されました。
事件の背景とその後の影響
クックらがハワイ島に再来航した時期は、ハワイの伝統的な祭礼(マカヒキ)の時期と重なっており、当初クックらは神の再来として手厚く迎えられたとされています。しかし、予定外の再来航や長期滞在は先住民の社会や食料事情に大きな負担となり、両者の緊張関係を生む要因となりました。
クックの死後、イギリス隊と先住民の間で戦闘が行われましたが、最終的に遺の一部がイギリス側に返還され、水葬に付されました。この事件の後、イギリスの探検隊は副長官であったチャールズ・クラークの指揮のもとで航海を続け、イギリスへと帰還しました。太平洋探検史における最大の英雄の一人の死は、その後のヨーロッパと太平洋地域との関係に大きな影を落とすことになりました。
ポイント
- ジェームズ・クックが殺害された日は1779年2月14日である。
- 事件現場となったのはハワイ島のケアラケクア湾である。
- クックは3度目の太平洋航海の途上で命を落とした。