社会・2月6日
ミュンヘンの悲劇(マンチェスター・ユナイテッドの選手らが犠牲となった航空事故)が発生した日
1958年2月6日、イングランドのサッカークラブ、マンチェスター・ユナイテッドの選手やスタッフらを乗せたチャーター機が、西ドイツのミュンヘン・リズム空港で離陸失敗による墜落事故を起こしました。「ミュンヘンの悲劇」と呼ばれるこの事故により、将来を嘱望された若手選手を含む多くの尊い命が失われ、サッカー界に大きな衝撃を与えました。
事故の概要
1958年2月6日、ユーゴスラビアのベオグラードで行われたヨーロピアンカップの試合を終え、イングランドへ帰還する途中だったマンチェスター・ユナイテッドのチャーター機(英国欧州航空609便)が、経由地である西ドイツのミュンヘン・リズム空港で給油を行いました。その後の離陸試行の際、滑走路上にあった積雪とスラッシュ(シャーベット状の雪)が原因で加速が妨げられ、機体は離陸に失敗して空港の柵を突き破り、民家などに衝突して大破・炎上しました。
犠牲者と「バスビー・ベイブス」
この事故により、乗員乗客あわせて多数の死者が発生し、マンチェスター・ユナイテッドの選手8人を含む関係者が犠牲となりました。当時、マット・バスビー監督の下で育成され、若くして才能を発揮していたチームは「バスビー・ベイブス」と称され、イングランドサッカーの未来を担う存在として期待されていました。若手選手の多くが命を落としたことは、クラブおよびサッカー界全体にとって計り知れない損失となりました。
その後の影響と再建
事故で重傷を負いながらも一命を取り留めたマット・バスビー監督は、病院での懸命な治療を経てチームの指揮に復帰しました。クラブは甚大な打撃を受けたものの、サポーターや関係者の支援、そして新たな補強を経てチームの再建が進められました。事故から10年後の1968年には、ヨーロピアンカップで悲願の初優勝を果たし、ミュンヘンの犠牲者たちへの追悼と、クラブの不屈の精神を示す歴史的な成果となりました。
ポイント
- 発生日は1958年2月6日である。
- マンチェスター・ユナイテッドの選手やスタッフ、ジャーナリストらが犠牲となった。
- 事故の原因の一つとして、滑走道の積雪やスラッシュによる離陸障害が挙げられている。
- 監督であったマット・バスビーは重傷を負いつつも生還し、のちにチームを再建した。