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歴史・1月18日

振袖火事(明暦の大火)の発生

1657年1月18日(明暦3年1月4日)、江戸で江戸大火最大規模となる「明暦の大火」が発生しました。俗に「振袖火事」とも呼ばれ、江戸の市街地の多くを焼尽する甚大な被害をもたらしました。「振袖火事」の由来や火災の規模、そしてその後の江戸の都市再計画に与えた影響について解説します。

明暦の大火(振袖火事)の発生

明暦3年1月18日(1657年2月22日)、本郷の本妙寺から出火した火災は、強い季節風に煽られて江戸市街へと言い広がりました。火は丸一日以上燃え続き、江戸城の天守閣を含む多くの建造物や武家屋敷、町人地を焼き尽くしました。被害は江戸の市街地の大部分に及び、死者は数万人にのぼると伝えられています。

「振袖火事」の由来

この大火が「振袖火事」と呼ばれるようになった背景には、本妙寺に持ち込まれたある娘の振袖にまつわる伝承があります。不慮の病で亡くなった娘たちの遺品である振袖を寺で火葬したところ、その振袖を着た娘たちが次々と亡くなり、再びその振袖を供養しようと燃やした際に突風が吹いて火元となったという俗信が広まりました。ただし、これは後世の物語や諸説に基づくものであり、出火原因そのものは当時の公式記録等では定かではありません。

その後の影響と都市改造

甚大な被害を出した明暦の大火の後、江戸幕府は防災と都市機能の刷新を目的とした大規模な都市改造を実施しました。密集していた市街地や武家屋敷の再配置が行われ、防火帯となる広小路の設置や、火除地の確保が進められました。また、類焼を防ぐために大名屋敷や寺社が江戸の外縁部へと移転させられ、江戸の都市構造が大きく変化する契機となりました。

ポイント

  • 明暦の大火は明暦3年1月18日(新暦1657年2月22日)に発生した。
  • 火元は本郷の本妙寺とされる。
  • 江戸城の天守閣もこの火災で焼失した。
  • 幕府の都市政策や防災体制の見直しが進む契機となった。