歴史・1月3日
アメリカ軍がパナマの首都を攻撃しマヌエル・ノリエガを追放
1989年12月から1990年1月にかけて展開されたアメリカ軍によるパナマ侵攻の最中、パナマの最高実力者であったマヌエル・ノリエガがバチカン市国の大使館に出頭し、アメリカ軍に身柄を拘束されました。この一連の軍事行動により、ノリエガ政権は事実上崩壊し、パナマの政治体制に大きな転換点をもたらしました。本記事では、この事件の経緯やその後の影響について解説します。
事件の経緯
パナマの独裁的指導者であったマヌエル・ノリエガは、麻薬密売容疑でアメリカの裁判所から起訴されていました。アメリカ合衆国は、パナマ運河の安全確保やアメリカ人市民の保護、そしてノリエガの身柄拘束を目的として、1989年12月20日にパナマへ軍事侵攻を開始しました。戦闘により首都パナマシティなどは大きな被害を受けました。
ノリエガの追放と身柄拘束
アメリカ軍の圧倒的な攻勢の前にノリエガは追いつめられ、パナマ国内のバチカン市国大使館に逃げ込んで保護を求めていました。数日間にわたる外交交渉や心理作戦の末、1990年1月3日、ノリエガは大使館から出てアメリカ軍に投降し、身柄を拘束されてアメリカ合衆国へ移送されました。これにより、パナマにおけるノリエガの長期政権は完全に終結しました。
その後の影響
ノリエガの追放後、パナマでは民主的な政権移行が進められ、パナマ国防軍は解体されて警察組織へと改編されました。また、この軍事介入は国際法違反ではないかとの批判が国連等で議論されるなど、アメリカのラテンアメリカ政策における重要な事例となりました。
ポイント
- マヌエル・ノリエガは1990年1月3日にバチカン大使館から出頭し、アメリカ軍に拘束された。
- 事件はアメリカ軍によるパナマ侵攻の一環として発生した。
- ノリエガはその後アメリカで裁判を受け、麻薬密売などの罪で有罪判決を受けた。