歴史・1月2日
大塩平八郎の乱で、大坂町奉行所が前日の乱に対応して警戒態勢に入る(天保8年正月2日)
天保8年正月2日(1837年2月6日)、大塩平八郎の乱の前日において、大坂町奉行所が前日からの動きに対応して警戒態勢に入りました。天保の大飢饉に苦しむ民衆を救うため、元大坂東町奉行所与力であった大塩平八郎が蜂起する直前の緊迫した状況を示す出来事です。
大坂町奉行所の警戒態勢
天保8年正月2日、大坂町奉行所は前日までに察知あるいは対応していた動向を受け、市中に対する警戒態勢を強化しました。当時、大坂では天保の大飢饉による深刻な米価の高騰と窮乏生活にあえぐ庶民であふれており、幕府や豪商に対する不満が高まっていました。
その後の影響と結末
この直後、正月19日に予定されていた大塩平八郎の蜂起は計画漏れなどにより延期を余儀なくされ、最終的に決行されたのは同年2月19日(旧暦正月19日)となりました。乱自体はわずか一日で鎮圧されたものの、幕府の支配体制や世間に大きな衝撃を与え、のちの世直し一揆などに少なからぬ影響を与えました。
ポイント
- 天保8年正月2日は、西暦1837年2月6日にあたる。
- 大塩平八郎は元大坂東町奉行所の与力であった。
- 背景には天保の大飢饉による深刻な社会不安があった。