都内在住の会社員、羽田野健二さん(42)は、3年前からある徹底した食生活を送っている。彼曰く「パン屋で売られている食パンは、耳という極上の琥珀色をした宝石を、わざわざ白いスポンジで包んで守っているに過ぎない」とのことだ。この信念に基づき、羽田野さんは購入した食パンから白い部分をナイフで完璧に削ぎ落とし、窓から空へ向かって放り投げるというルーティンを毎日欠かさず行っている。
近隣住民からは「白い雨が降ってくる」「ベランダから白い何かが飛んできてカラスが混乱している」といった苦情が寄せられていたが、羽田野さんは一向に気に留めない。「あれは鳥への贈り物です。私はただ、カリカリとした究極の香ばしさを求めているだけなのです」と、彼は至極真面目な面持ちで語る。
彼の食卓には常に、切り落とされた『耳』だけが山盛りに積まれている。その量は一日におよそ3斤分。当初はバターやジャムで味の変化を楽しんでいたが、現在は「何もつけない状態こそが、小麦の呼吸を感じられる」として、一切の調味料を拒絶している。彼の顎の筋肉は、この3年間でオリンピック選手並みに発達した。
しかし事態は思わぬ方向へ進んだ。最近、彼のベランダ周辺に集まる野鳥たちが、彼が投棄した白い部分を一切口にせず、代わりに「耳」を求めて窓を叩くようになったのだ。鳥たちまでが、羽田野さんの「耳こそ至高」という思想に感化され始めたのである。
先週には、ついに近所のスズメたちが徒党を組み、窓辺で「もっとよこせ」と言わんばかりの威圧的な鳴き声を上げる事態に発展した。羽田野さんは「まさか鳥までが私の思想を理解するとは。もはや私一人で食すのは限界だ」と悟ったという。
結局、彼は現在、すべての食パンの耳を鳥たちに献上し、自分は毎日、投棄されていた白い部分を拾い集めて食べるという、完全に本末転倒な生活を送っている。昨日、彼が食パンの白い部分を噛みしめながら涙を流していた姿が目撃されており、どうやら「本当の旨味は、捨てられた側にあるのかもしれない」という哲学的な結論に達したようだ。
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