先日のマリモ界を震撼させた『究極静止』の覚醒を受け、スポーツの定義を問う声が噴出している。阿寒湖で開催された公式大会において、優勝候補の大型マリモが試合開始直後に一言の動きも見せずに完全静止。周囲の雑音を消し去るほどの強烈な静寂を放ち、対戦相手が精神的圧迫で自滅する事態となった。この事象に対し、純粋な動きと戦略を好むファンからは「競技ではなくただの置物」との批判が相次いでいる。

本来マリモの競技は、いかに激しく回転し、水流を切り裂くかを競うダイナミズムが魅力であったはずだ。しかし、この『究極静止』は物理的な干渉を拒絶し、観客を置いてけぼりにする究極の自己満足と言える。スポーツの現場において、動かないことを戦術とするのはあまりに卑怯であり、観戦料を払った観客への背信行為であるという意見が専門家の間でも強まっている。

背景として、近年のマリモ界では回転スピードを競う過激な競技が主流となり、選手寿命が削られるという問題があった。それに対するカウンターとして、あえて全く動かないことで体力を温存しつつ相手を威嚇する新戦術が生まれたとされる。しかし、これが一般化すれば全てのスポーツが静止合戦になりかねず、大会運営委員会も「ルール化の検討」という名の緊急介入を余儀なくされている。

この報道を受け、SNS上では「動かない奴はマリモ界から追放すべき」「いや、これも高度な駆け引きだ」と議論が真っ二つに分かれている。一部の原理主義者は湖畔で抗議デモを行い、動かざるマリモに向けて盛大に水を撒くなどの過激な行動も確認された。今後の大会運営が、この『静寂という名の暴力』をどう裁くのか、全世界が固唾を飲んで見守っている。文:辛口スポーツ時評家・阿寒 静男