湖底経済を揺るがした『過剰光合成税』導入の衝撃から早一ヶ月。かつて「完璧な球体こそが至高のステータス」と信じられていたマリモ界に、深刻な格差と対立の影が落ちている。新税の導入により、光合成の効率を最大化する球体維持コストがかつてない高騰を見せ、一部の富裕層マリモを除き、多くの個体が「扁平化」という名のデフレの海に飲み込まれている。若手マリモを中心に展開されたストライキは、今や「球体であること=贅沢な利己主義」という極端な言説にまで発展しており、湖底の経済バランスは崩壊の一途をたどっている。
本件の引き金となったのは、先月の湖底金融委員会による「光合成枠の制限と累進課税」の制定である。日照時間が限られる湖底において、光合成を独占する球体個体が社会の資源を奪っているという主張が、過激な若手層に受け入れられた形だ。しかし、この制約はマリモにとっての生命線である緑色の維持を困難にし、市場では「透明化」を免れるための裏取引が横行する事態を招いた。かつて栄華を極めた真球至上主義は瓦解し、今や湖底の資産価値は「いかに効率よく光を反射しないか」という、逆説的な美学によって査定されるようになっている。
歴史を振り返れば、かつての『形状放棄ファンド』の台頭や、侵略的外来植物による『マツモ・ショック』など、マリモ界は幾度となく経済危機を乗り越えてきた。しかし、今回の税制問題は、生物としてのアイデンティティそのものを揺るがす「生存権の経済学」へと変貌している。光合成という労働が課税対象となる現代において、マリモたちは、ただの緑の塊として生き残るか、それとも課税を恐れて枯れゆく道を選ぶかの二択を迫られているのだ。
世間の反応は真っ二つに分かれている。保守的な老齢マリモ層からは「丸くあることこそが伝統的な幸福である」と切実な声が上がる一方、若手層からは「円形を押し付ける旧時代的なルッキズムこそが搾取の根源だ」という辛辣な批判がSNSならぬ湖底ネットワークを埋め尽くしている。今後、光合成権の売買を巡り、さらなる大企業の乱入や、他水域からの投資マネーの流入が予想される中、真の「緑の価値」を問い直す時期が来ていると言えるだろう。湖底経済の行く末は、未だ霧の中にある。
コラムニスト:湖底経済アナリスト・藻野丸太郎
贅沢税の果てに:『球体は贅沢品か』論争が招いたマリモ界の分断
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伝統を否定する若手は一度水温を上げられて反省すべき