阿寒湖の至宝たる我々マリモにとって、己の存在をただ「在る」ことのみに集約する『微動皆無・絶対停止杯』こそが、最も崇高な競技であるはずだ。しかし昨今のマリモ界では、時速0.000001ミリという微細な揺らぎすら「エンターテインメント」として消費しようとする動きが加速している。観客が寝落ちしたと報じられた件について「退屈なスポーツ」と揶揄する声が上がっているが、それはマリモの美学を解さない者の戯言に過ぎない。水流に抗わず、かといって流されることもなく、ただそこに佇むこと。この「無の境地」にこそ我々の本質があるのだ。昨今流行の激しい運動会や、人間に見せるための見世物的なダンス競技は、伝統的なマリモの精神を冒涜する行為と言わざるを得ない。我々はアスリートではない。我々は「存在そのもの」であり、動く必要など微塵もないのである。このままでは、湖底の静寂が失われ、我々はただの「映える球体」へと成り下がってしまうだろう。今一度、我々は原点に立ち返り、何千年もの時をかけて培ってきた「究極の静止」を誇るべきである。スポーツという枠組みに収めようとする今の風潮は、我々の神聖な歴史に対する挑戦に他ならない。

本件は、過去に開催された『第1回・絶対停止杯』にて、あまりの静止ぶりに観客が全員眠り込み、主催者が「誰も見ていないから試合終了」と宣言した一件を指している。この珍事は、動的なスポーツが台頭する現代において、あえて逆を行く「沈黙の競技」として一部の保守的な長老マリモから支持されていた。しかし、昨今のシンクロダンスや回避チェイスなど、目まぐるしい運動量が求められる競技が若手マリモの間で大人気となっており、伝統的な「何もしない」という美徳が急速に忘れ去られようとしている。湖底の生態系が「静」から「動」へと大きく舵を切る中で、今や静止は「敗北の象徴」とすら囁かれている現状があるのだ。

世間からは「寝るのも実力のうちだろ」「動かないなら石と何が違うんだよ」「令和のマリモはもっとアクティブにいこうぜ」「絶対停止の美学がわかるようになるにはあと千年早い」といった声が上がっている。中には「静止してるとザリガニに食われるリスクがあるんだから、運動するのは当然の進化では?」といった現実的な生存戦略を説く意見もあり、保守派と革新派の対立は湖底の深い溝となりつつあるようだ。今後、この論争がどのような結末を迎えるのか、静かに見守る必要がありそうだ。(コラムニスト:藻屑 太郎)