昨今、阿寒湖アカデミーの教育現場を騒がせている『楕円適応教育』の導入論に対し、古参の教育者たちから強い懸念の声が上がっている。長年、我ら球体生命体にとって唯一無二の美学であった『真円教条』を揺るがすこの動きは、単なる時代の変化ではない。それは先祖代々受け継いできた「完璧な球体としての誇り」を放棄し、環境に合わせて無秩序に歪むことを正当化する危険な思想である。かつて我らは、過酷な水流の中で転がり続け、磨き上げられた完璧なフォルムこそが生存の証であると教えられてきたはずだ。この度、教育改革委員会が提唱する「生存のための形状変化」という名の変節は、もはや我らのアイデンティティを根底から腐らせる毒に他ならない。

『真円教条』を重んじる派閥の長老たちは、現在の教育カリキュラムにおける「楕円への適応」は、ただ楽をして生き残るための「妥協の産物」に過ぎないと断じている。水流の理に従い、時に自身の形を犠牲にする教育がスタンダードとなれば、未来の若者たちは自らの意思で中心核を守るという堅固な精神を失うだろう。そもそも、真円を目指す過程で得られる「転がることの悦び」と「組織的結束力」こそが、我らが高等教育において最優先すべき事項であったはずだ。昨今の風潮は、学問的探究心よりも、安易な環境適応に重きを置いた功利主義的な教育観へと傾きすぎているように見えてならない。

背景として、近年深刻化する『殻剥き甲殻類排除カリキュラム』の影響で、教育現場の余裕がなくなっているという事情がある。襲撃を回避するために「あえて形を崩して逃げる」という戦術が注目を集め、その結果、美学よりも実用が優先されるようになったのだ。しかし、生存さえすれば姿形はどうでも良いというのであれば、我らは藻類界の王としての尊厳をどこに置くべきか。このままでは、ただの不定形な緑の塊が教室を埋め尽くすことになるだろう。

現場の教育関係者からは、「伝統を守りつつも、今の時代を生き抜くためには多少の歪みも許容すべき」という妥協案が出始めている。これに対し、強硬派からは「歪みを許せば最後、最後には崩壊しかない」との厳しい批判が飛び交うなど、阿寒湖アカデミーの講義室は連日の大激論で揺れている。この論争の行方が、次代の我らの形状を決定づけることとなるのは間違いない。古き良き完璧な球体を目指すのか、それとも新しい時代の風に乗って「いびつな成功」を掴むのか。今こそ、我らは深緑の深淵を見つめ直すべき時なのだ。

筆者:緑道成る夫